日本のだし文化っていつから?歴史を知って料理に活かそう
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歴史が深いかつお節だしと昆布だし
・だしの起源は煮出すこと
縄文時代、人類は縄文土器を作り出し、火を使うことを覚えるようになります。すると、人類は木の実や果物、きのこや魚、貝や獲物の肉など、様々な食材を土器で柔らかく煮て食べることを覚えました。その課程で、様々な食材の煮出し汁が、食べ物を美味しくすると気づき、煮出し汁、すなわちだし汁という概念が生まれたと言われています。
地域ごとに食材は異なるため、必然的にだしの取り方もそれぞれ変わっていきました。島国である日本でも、その土地の食材に合った独自のだし文化が発達していきます。
・日本のだし文化は奈良時代までさかのぼる
かつおや昆布が日本の歴史資料に初めて登場したのは奈良時代のことになります。朝廷へ納める税として、かつおと思われる「堅魚」や「煮堅魚」、「煮堅煎汁」といった記述が当時の文献にあったことから、この時代からかつおが食べられていたことがうかがえます。
また、昆布についてもやはり朝廷への献上品としての記述が見つかっています。天皇の食事に使われることなどもあったため、当時の身分の高い人々に愛されていたのではないでしょうか。奈良時代からかつおや昆布が調理に使われるようになり、室町時代後期の文献には素材ではなく「だし」としての記述されているものが見つかりました。
東西で異なるだし文化の歴史と背景
・関東だしは江戸の暮らしと関係が深い
当時、関東では人々の多くが肉体労働を中心にして生計を立てていました。地方から江戸に働きに出てきた人もいれば、先祖代々受け継いだ土地で、農業に励んでいたという人も多かったとされています。また、下級武士で大工など力仕事に従事している人も多い時代でした。汗をかいて仕事をする人が多かったことから、塩分が必要になり、そこからだしや料理も味の濃いものが好まれるようになったと言われています。
・京料理の影響を大きく受けた関西のだし
一方、京都をはじめとする関西地方は、関東に比べると頭脳労働の人々が多く集まる土地でした。また、公家など高い家柄の人も多くいたという特徴があります。ところが、江戸時代には公家であってもかつてほど裕福ではなく、豪奢を好む一方で食糧事情は逼迫したものとなっていたのです。倹約が必要であったものの、公家の体面を保つには、ある程度の見栄えが必要です。そこで、京の人々はだしを有効利用し、少ない素材でも味が引き立ち、美しく見えるような調理方法を編み出しました。こうして生まれたものが京料理だと言われています。
また、江戸時代になり商人が「天下の台所」大阪に集まり、北海道産の昆布が江戸より先に大阪に運ばれてきたこともあって、関西では昆布を使った上品なだしが発達したと考えられています。
・合わせだしは江戸前期に誕生
もう1つ、代表的なだしといえば、かつおと昆布の合わせだしです。合わせだしは江戸前期になってから文献に登場するようになりました。かつおぶしのうまみと、昆布のうまみの2つを合わせることで、だしのうまみが増すということが理解されるようになり、だしの文化はさらに広がっていったと考えられます。
かつお節だしと昆布だしの取り方
かつお節だしを取る時の分量は、水1000mlに対してかつおぶし30グラムが適切です。まず、鍋に湯を沸かし、沸騰したらいったん火を止めます。火を止めた鍋に全体に散らすようにしてかつおぶしを入れ、そのまま一切触らず1~2分間待ちましょう。
キッチンペーパーなどを敷いたざるに、静かに注ぎ入れます。1分間ほど待ってからざるを引き上げたら、かつおぶしで作る一番だしの完成となります。ざるでだしをこす際は、絞ったり押しつけたりするとえぐみが出ますので絞らないでください。
・昆布だしの取り方
昆布だしを取る時の分量は、水1000mlに対して昆布10グラムが適切です。まず、昆布の表面を固く絞ったふきんなどで軽く拭いて、汚れを落とします。また、だしを取る前に、うまみ成分を抽出しやすくするため、あらかじめ水に30分~1時間ほど漬けておくと良いでしょう。
鍋に水と昆布を入れ中火にかけ、沸騰する前の段階(約80℃)で火を止めます。沸騰させてしまうと雑味やぬめりの原因となってしまうため、鍋の底から泡がわずかに立ってきた段階で火を止めるのがポイントです。だしを取るためにミネラルウォーターを使用する場合は、軟水のものを使いましょう。昆布を取り出せば、美味しい昆布だしの完成となります。だしを取るためにミネラルウォーターを使用する場合は、軟水のものがおすすめです。
美味しいだしは素材選びから
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